駒込は、あの有名な桜『ソメイヨシノ』の発祥地です。
東京で何気なく住んでいるこの街ですが、
日本の四季の楽しみであるお花見を大いに盛り上げてくれた土地なのですね。
また、桜と言えば春を思いつくと思いますが、
公園の散策は、楽しく歴史を知る機会となりますのでお散歩が楽しいです。
今日はその駒込にあり染井吉野に関する公園などを紹介致します。
染井吉野桜記念公園
駅のすぐ横にある小さな公園。
待ち合わせにぴったりで、
夜の一休みにも魅力的なお店が小道を挟んだところに
『燻製居酒屋 くゆり』
『五妹包(ゴマイホー)』
『新橋やきとん 駒込店』
と並んでいます。
染井吉野櫻発症之里 駒込
記されている内容は、
駒込の一部は江戸時代染井と呼ばれ、
巣鴨とともに花卉(かき)・植木の一大生産地であった。
この地で江戸時代以降、数多くの優れた園芸品種が誕生したが、
なかでも染井吉野は、当地の地名から名づけられ、
世界を代表する桜の品種となった。
絵は、植木屋の第一人者、染井の伊藤伊兵門の庭で、
大勢の人が花を愛でている様子である。
と、の事です。
伊藤伊兵門さん、ありがとうございます。
今の日本でも桜の花見は大人気でございます。
門と蔵のある広場
駒込駅から道路を渡り、6~7分(約400m)。
歴史を感じれる門と蔵を見ることが出来ます。
こういう木造の建物を見ると、落ち着きますよね。
広場は、少しだけ手入れのされている土地と、
木製の4人掛けテーブルセットが2組。
『遊ぶ』というより『のんびり一休み』が似合う風景ですね。
隣には小学校があり、外で体育の授業をやっている際には、
子供たちのキャッキャした声が聞こえてきて心が和みます。
旧丹羽家腕木門(豊島区指定有形文化財)
旧丹羽家の門は、腕木(うでぎ)と呼ばれる梁(はり)で屋根を支える『腕木門』と呼ばれる形式で、
簡素な構造ですが格式のある門です。
要約すると、
この門の建築年代は不明です。
『津幡藤堂家下屋敷跡の裏門』の移築とも言われています。
とても大きく、大名家の裏門として使われていても不思議ではなく、
3回の修理した履歴も解り、
少なくとも『弘化(こうか)4年(1850年)より前』とされています。
※歴史の補足※
弘化は、1845年から1848年までの期間。
天皇は仁孝天皇、孝明天皇。
江戸幕府将軍は徳川家慶。
また、
その後も2回の移動していますが、
建築当時の姿を概ね残せる技法により行われており、
江戸時代の腕木門としては区内唯一。
そのため、平成19年に豊島区の指定有形文化財となったそうです。
他にも『染井植木の里』に関する石碑が飾られています。
旧丹羽家住宅蔵(国登録有形文化財)
この蔵は、昭和11年(1936年)の建物とされています。
昭和初期のものであり、モルタル下地に大理石による仕上げ。
さらに当時としては珍しい鉄筋コンクリート造り。
ですが、そこはやはり日本人。
細部には職人の技術や建築主のこだわりが見られるそうです。
染井吉野ゆかりの地散歩
門と蔵のある広場のすぐ横に小学校がありますが、
その一画に散歩道の記が添えられています。
駒込小学校の歴史や、染井通りなどについて記されているので、
のんびり散歩のときにでも読むと、また一つ賢くなれますね♪
染井よしの桜の里公園
こちらの公園は『小さな子供がキャッキャ楽しむ公園』です。
お昼過ぎ頃に訪れたのですが、
近くの園児達が楽しそうに遊んでしました。
※そのため写真は少量と致します。
住宅街のなかにあるこういう公園は和みますよね。
田舎の方ですと、土地があるだけで整備は疎かだったりしますので、
東京の子供たちがうらやましくもあります。
染井よしの(ソメイヨシノ、染井吉野)の説明書き
この公園の周辺は、江戸時代に染井村と呼ばれていたそうです。
『染井よしの』は、
オオシマザクラとエドヒガンお品種改良により創られたといわれています。
その桜を全国、世界に発信していきます。
とのことです。
また、公園横の駐輪場ですが、
しっかりした柵と舗装で、なんだか安心できますね♪
染井霊園
桜の木が多く植えられている霊園ですが、
霊園であるため、写真紹介は控えさせて頂いております。
しかし、その土地の広大さはご覧のとおりです。
巣鴨にある西友が20個分くらい入る大きさです。
また、
『芥川龍之介』など、著名人のお墓もあるようなので、
熱狂的なファンの方は参拝してみるのもよいかもですね。
このまま終わるのもさみしいので、近隣紹介を。
駒込の大師道の道標
門と蔵のある広場付近にあり、
塀に埋め込まれてしまった『駒込の大師道の道標』の碑です。
東京染井温泉 Sakura
私、一度だけ訪れたことがあります。
広くて大きなお風呂は良いですよね。